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コラムの開始 講評会を踏まえてさらに思うこと 

最近になって、建築全般に対して少しずつ興味が沸いてきた。この際、今までいろいろと頭の片隅にあったものを一気に放出することにする。(おそらくこんなことを続けていくと、その度にかなり分裂した意見を書くことになると思いますが、それは1つの目的でもあります。あくまでメモ書きということで。)
そして今回が記念すべき第一回目。

前回の続き・・・。「内発ー外発」関係について。

■内発的動機と外発的抑制■
内発的動機と外発的抑制の対立やら共存など。こういった論法はよく使われている。技術的問題(外発的)と美的問題(主に内発的、作家の美意識)とか、、、機能(使うこと)と美(観賞すること)・・。二つに分割すると分かりやすくなるからだと思う。

ちょっとここで、ある設計者のおこなう住宅の設計を例として「内発ー外発」関係を分かりやすくまとめてみる。
まず一人の施主がいる。設計者はその施主からお金をもらって設計をおこなう。施主の要望を聞き出し、設計案に盛り込む。つぎに設計案を法律に引き合わせ、軌道修正する。見積りをおこない予算と照らし合わせ、設計を変更する。施工が始まり、技術的問題から再度変更。。。
さて、このようなごく一般的な境遇、じつは上記の「内発ー外発」関係に当てはめることができる、とても簡単に。
内発的動機:設計者自信のやりたいこと。意志、理想。
外発的抑制:施主の意見(機能的、観賞的理由など)、予算、法律、技術
とても分かりやすい。

■妥当と妥協■(この二つの似て非なる単語の組み合わせは、大学時代の先生の言葉を援用したものです。)
しかし、普段ものを作るとき(家具の製作、カイトの制作、靴の修理でもいい)、そんなこと(上記の要素)を内発とか外発とか理由づけて考えているだろうか。いやいや、各々は単なる与件でしかない。べつに分類する意味もない。ではなぜそのような分類をしたがるのか。ここから以下は飛躍。
その理由のひとつとして「いつでも言いわけを用意しておきたい」があげられると思う。さきの例をみても分かるように、ものの創作行為を「内発ー外発」関係として捉えると、いくつかの修正行為が、実際おのおの妥協点として存在していることが分かる。
施主の要望を聞かねばならないから・・・、予算がないから・・・、法律に違反するから・・・、技術的に困難だから・・・、今回は妥協せねば・・・・と。これは現在進行している建設行為の9割以上だと思う。
しかし一方で上記の要素がうまく作用することもある。様々な要素のおかげで、建築が良い方向に移行したりすると、主体全体(設計者・施主・技術者など建設行為全体)が納得する。これは妥協とは言わない。ある妥当点を見出したといえる。
さてこの状況、本当に「内発ー外発」関係(対立にせよ共存にせよ)といえるか。うーん、違いそうな気がする。たぶんベクトルの方向が違う。もちろん設計者(あるいは施主)の一案が発端とはなるが、全体の総意が妥当性を目指すのだから。それは家具やカイトを作ったりするときと似ている。与件に内(作用)も外(反作用)もない状態。

■内発ー外発(さらに飛躍して)■
この感覚は、設計者=作家という問題と関わっていると思うけど、難しいのでそのうち思いついたら書きます。
さて、先にも述べたように妥協と言い訳はセットであり、妥協するときにはかならず言い訳が用意されている。「なぜなら・・・。」と。これは前述の講評会でも同じ。「私はこのように設計しました。なぜなら・・・」。相手を説得せねばならないので当然といえば当然である。
そして実はこの言い方、世間の多くの建築家においても同様。自身の設計した建物を発表・説明するとき(とくにメディアに向けて)によく使う方法である。その場合「はい。そうですね。」って言いかえせば、きっと安心するのだと思う。
さて話しもどって。以上の感じを踏まえると「内発ー外発」というのは、建築家による、単純な論法(理由付け)なのだと思う。そして、その論法は教育(たとえば今回の講評会)を通じて学生にも伝えられる。とにかく言い訳を考えるようになる。(←学生時代の設計課題においては、学生の提出した設計案に対してその理由が問われます。なぜか提出した後の質問攻め、未だに不思議です。)

以上のようにだらだらと流してきました。しかし前述のように、現実の設計行為はこういう場合(内ー外の対立)が多いことも確か(というか勝手にそういう考え方になってしまう。)。だから今のところは「この論法はかなり怪しいなあ」という感覚を常に持ち続ければいいと思う。
というわけで最後↓

■ゼロ円建築■
そうか。内ー外なんてのは詭弁にすぎないなあ。とおもったのはこんなサイトを覗いていたせいもある、、、 「究極のライト・アーキテクチュアはゼロ円建築」 石山修武
「ゼロ円で建築を作る。」こんなに面白い響きは他にないと思う。考えるだけでわくわくするし、「予算がないから今回は・・・」という妥協の言い訳もどこへやら。この感じ、ほんとうに共感(ただしこのコンセプトを掲げ、今すぐに実行に移そうとすると、またもや内ー外の関係(人件費がかかる等の外発的抑制)に陥り、自己矛盾に至ります。)。なので今回はこの言葉だけを心に留めておいて。
まあ何十年か経てば本当に出来そうな気がしなくもないし、まずそれについて考えることが楽しそう。たとえば路上生活者の人の住宅(小屋)なんて、ほぼゼロ円だと思うし。専門的知識と予算の組み方次第では、ある意味で可能かもしれない。
そして大事なこと→そんなものを作ることに、さして理由はありません。「予算がないから、なんとか0円で作ったんですよ。どうですかねえ。」(理由付け)なんて人に言ったりしません。「0円で作りましたよ。ついに。げらげらげら。」と胸を張って言います。

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コメント

122【3】発発射w

274昨夜3発発射ヤっちゃいましたw
今週末は4発に挑戦予定w
童貞ってったら思わぬ報酬w
↓漏れがんばるおおおおおおwwwwww

http://g-blend.net/qr/

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